理系と文系

理系と文系という分け方は人を分類するのによく使われます。高校、大学で何を中心に学んだかであるとか、何に興味を持っているか、といった軸での分類です。しかしながら、文系と言っても経済学のように数学を用いて構成されるものもあることを考えると、この分類は少しずれているような気もします。そういうわけで人を分類する上で以下の枠組みで考えてみます。

  • 理系 自然を理解するタイプ
  • 文系 人を理解するタイプ


ここでいう自然は広い意味でのものです。何らかの論理、法則に従うものを自然と呼んでいます。文系での人は人の集まりだったり、感情的なものを意味します。ここで重要なのは、この「自然」「人」は全く別のルールで動いていると言うことです。「自然」は論理が支配するのに対して、「人」は感情的なもので動きます。このため理系と文系の思考様式は全く違うものになります。理系は自然がどのような状態か、またどのように変化するかが主な興味になりますが、文系はある物事に対して人がどのように感じるかが主な興味です。理系は自然を操作するのに対して文系は人を操作します。


さらに、自然をいれて単純化すると、じゃんけんのような面白い関係になります。

  • (r1) 理系は自然よりも強い。
  • (r2) 文系は理系よりも強い。
  • (r3) 自然は文系よりも強い。


理系は自然をコントロールできますが、文系にはコントロールされます。理系も人だからです。ただし、文系には自然は理解できずコントロールは出来ません。

この力関係は社会の発展において重要な役割を持ちそうです。社会の形成には文系が必要ですが、自然を理解して発展していくには理系が必要です。社会において文系が権限を持ちすぎると自然のコントロールに失敗して社会を維持することが難しくなり、理系が権限を持ちすぎると社会を形成することが難しくなります。力関係を考えると、一つの社会の中では文系が有利になりますが、社会の単位で生き残るには理系が有利である必要があります。歴史的にはこの2つのタイプをうまく調和してきた社会が力を持ってきたものと考えられます。


現在でいうと、国、自治体、会社といった単位で競争が行われていると考えられますが、これらの競争では、理系と文系の権限を配分するシステムが非常に重要になってきます。システムは、理系、文系に対してどのように評価を行っていき、どのように権限を与えていくかを規定します。グループとしてまとまりがなければ文系の権限が弱い、グループの競争力が低い場合は理系の権限が弱いのだと思います。