自信過剰戦略は有効か?

自分の能力を実際より高く評価することが成功を招く場合のあることが、新たな研究で明らかになった。

このモデルではXとYという2名の人物を仮定し、さまざまな種類のリソースを奪い合う設定とした。

シミュレーションの結果によると、相手の本当の実力に不確定要素があり、争いの対象となる獲得物がもたらすメリットが争いのコストを大きく上回る場合にのみ、自信過剰な戦略をとった方が有利になるという。


人間の自信過剰は進化の置き土産?


自信過剰バイアスがかかる理由の進化論的な説明の記事がありました。この記事では一人が自信過剰、もう一人がそうでない場合の考察になっていてこの場合は自信過剰な方がより利益を得られるようです。ただし、この結果を自信過剰バイアスの説明にするのはちょっと早いと思います。自信過剰な人が一人の場合はその人が一人勝ちになるのは記事の結果からも予想されますが、2人以上になったときにその戦略の有効性に疑問があるからです。


これは鷹鳩ゲームとそのプレーヤー集合の関係に似ています。つまり、自信過剰戦略が増えると争いのコストが増えて結果的にその戦略のプレーヤーは損失が大きくなります。このため自信過剰戦略は常に有効ではなくなるので、それが人の性質に深く入っていく説明としては弱いと考えられます。


それでは何が自信過剰の元になっているかということですが、一種のポーカーフェイスのようなものではないかと思います。思考実験ですが、自信過剰というものがない世界を考えてみます。この世界では物事がうまくいく人、そうでない人を見分けることが容易です。その人が自信を持っているように見えるかどうかを見分ければよいからです。うまくいっている人は何らかの資産(実力なども含む)をもっているので、他者が関わりを持とうとして利益を得る機会が増え、さらにうまくいくという循環ができます。一方うまくいかない人はその循環からも取り残されるでさらに不利になります。


このようなとき、有利な循環に乗るために自信があるふりをするのは有効です。自信というのは感情を伴うので最初は「ふり」だけだったのが徐々に感覚的なものになりバイアスとして組み込まれていったのではないかと思います。ただし、このような「ふり」が増えてくると取引する側も自信をある程度割引する必要が出てくるので、行き過ぎない程度に自信のバイアスが上乗せされてきたと考えられます。


また、元記事でも指摘がありますが、「相手の本当の実力に不確定要素」があるときにだけ有効でしょう。ネット、コンピュータが発達して個人の実力がパブリックな記録として蓄積されていく中では自信過剰というのは逆に信用を落とす不利なものになるかもしれません。