宗教と科学は互換か?

まず最初に、科学と宗教は必然的、論理的、あるいはアプリオリに互換性がないことを意味しない。我々は互換性がないことを理由にあらゆる意味で互換性がないと宣言すべきではないが、一部の人はそうしたくなる。確かに科学は合理性と証拠に基づく一方、宗教が信仰に基づく(常に合理性と証拠が欠如しているわけではないが)。しかしそれはただその二つが異なることを意味するだけで、互換性がないことを意味しているわけではない。

科学と宗教に互換性はない:シーン・キャロル << Nikki no ki
http://hwmh.wordpress.com/2009/07/02/006/

協力するにあたって自分と同じルールに相手が従っているという認識を必要とします。このルールが宗教であると考えられます。つまり、宗教は人の集まりというハードの上のOSの役割をして社会を形成しているといえます。
宗教は必要か
http://d.hatena.ne.jp/shat/20090727/1248700932

宗教というのは社会形成のプラットフォームであるというのは上の記事で言及しました。これを前提とすると、社会の中の各個体をこのルールに従わせる必要があるため、根拠として神などのバックグラウンドを作り出したと説明できます。宗教は一種のミームとして振舞いますが、宗教というミームが生き残っていくにあたり、次の2つが重要と考えられます。

  • (1) 宗教のルールによって構成される社会が効率的であること。
  • (2) 宗教のルールが各個体によって受け入れやすいこと。

宗教の進化において根拠の空間として科学だけを前提とするのは効率が悪いということから宗教と科学は互換性が薄かったのではないかと思います。
また、宗教のルールを支える根拠は変更できないと言うことがさらに重要です。なぜなら、宗教にとってルール自体が重要であり、もしその根拠が変更リスクにさらされると、ルールの変更リスクが心配されるからです。逆説的ですが、宗教は社会を形成するためのルールを守りたいがために、神などの根拠を絶対的なものとしたといえると思います。
宗教が科学と互換性を持てない理由はここにあると思います。つまり、変更リスク(反証可能性)を受け入れにくいのです。宗教は(1)に関するルール変更以外は受け入れることはできません。宗教は最適なルールを形成してそれを守っていくために反証可能性を受け入れてはいけないという運命にあります。

ただ、逆にいえば、(1)を保存ないし改善するような根拠を科学が提示し続けることができれば、宗教と科学は統一されるかも知れません。