通貨安と経済成長とバブル

 現在の不動産バブルは、直接的には中国の景気拡大策の影響だ。金融緩和によって住宅ローン金利を引き下げ、また不動産開発に義務付ける自己資金規制を大幅に緩めた。このため、不動産開発と住宅に対する需要が膨張したのだ。


 また、元レート固定化の影響でもある。この1年8ヵ月間、元は1ドル=6.83元で動いていない。05年7月に介入を緩和したときに元の対ドルレートが約2割上昇したことから考えても、相当規模の元売りドル買い介入を行なっていると考えられる。こうした介入は、国内の金融緩和をもたらし、国内にインフレ圧力を与える。

上海では地価が150%以上に急騰! 中国の不動産バブルは対岸の火事ではない


自国通貨を無理やり固定すると何か副作用が出てくるわけで上記の例はとても参考になります。


一般的には以下のようなパターンかなと思いました。

  • (1) ある国(=A国)が通貨レートを安く設定する。
  • (2) B国企業がA国のモノを買って新しい商品を作り、それを売る。
  • (3) (2)の裁定機会の消化によりA国のモノやサービスの値段が上がる。
  • (4) A国でインフレと同じ効果がおきるのでモノが買われる方にバイアスがかかる。
  • (5) A国での商品が全て買われていきバブルが形成されてくる。
  • (6) (2)〜(5)のスパイラルがおこる。
  • (7) バブル崩壊。システミックに潰れるべきでない企業も潰れて経済後退。


経済成長において、マーケットは過剰に買われたり売られるべきではないし、その間の所に長期的に最適なポイントがあるのだと思います。一般的には通貨レートを固定すると言うのは、インフレ/デフレのスパイラルを起こす下地を作って長期的に見て経済成長にはマイナスになるのかもしれません。

ContextとCreativity

今日はタイトルが分かりにくいかもしれません。Contextは文脈、何かの前提を意味しています。Creativityは何か新しいモノができることです。この2つには重要な関係があります。


例えば、将棋が好きな人(=Aとする)がいたとします。もう一人将棋が好きな人(=Bとする)がいたとすると、この2人は将棋の話で盛り上がるに違いありません。2人で考えているうちに、なにかすごい将棋の手を見つけるかもしれません。見つけないかもしれません。ここで重要なことは2人は将棋(将棋のルール)を知っているということです。同じ前提のもとで議論が行われるので、その上にさらに新しいモノを作ることができます。


もしも、Bさんではなく、Cさん(←囲碁が好き)だとすると、例えば、
Aさん「囲碁はどういう状態が勝ちになるのですか?」
Cさん「将棋は駒の動きが一つ一つ違って難しそうですね。」
と言う会話で終わってしまいます。2人には共有するルールが無いからです。


AさんとBさんの時は何か新しい考え方が出てきて、AさんとCさんの場合は何も出てこない、ということになってしまいます。これはCさんが悪いわけではなくて、組み合わせが悪いのです。


これは、コミュニケーション可能な2つのものの間に適切に共有するものがあれば何か新しいモノができる、ということです。ただし、AさんとBさんは同じ将棋の知識を共有しすぎていても退屈な話になってしまうかもしれません。なぜならAさんが考えることはBさんもすぐに思いついてしまって話に意外性がなくなるからです。つまり、共有するものが大きすぎてもいけないことになります。


一般的にいうと、適切なContextでのコミュニケーションはCreativityを最大化するといえます。共有するものとしないもののバランスが絶妙なときにCreativityは大きくなります。ある程度、バックグラウンドや価値観、考え方が同じであれば発展的な会話になるのではないかと思います。


人同士の間に限らず、この構造はいろいろなところで見られます。特定言語上でのライブラリ、特定OSの上でのソフトウェア、特定ソフトウェア上でのサービス、特定サービス上でのコミュニティ、特定テクノロジー上でのイノベーション、ITに限らないところで言うと、生態系、思想体系(ミーム)、マーケットなどがあると思います。


イノベーションに関するものは本質的にこの構造をもつと考えられるので、これからの社会ではこの関係性を意識していくことが非常に重要になるのではないかと思います。

英語がいらなくなるとき

コミュニケーションがグローバルになってきたこともあり英語の重要性は増えていますが、今後英語が要らなくなる可能性も結構あるかなと思っています。


大きな理由は、各個人で行われる英語の総学習コストが高いことと、外国語を理解することが本質的にCreativeでは無いことです。もちろん、ある種の翻訳に関してはCreativeな部分があるかもしれませんが、ほとんどケースの翻訳はあまり変化しない単語、構文をベースに翻訳することができます。外国語を理解するにあたって全く同じ苦労を各個人が別々に負担するというのは、総量として大きなコストになります。それよりも知性を外国語を翻訳するシステムの開発に集めて、できたシステムを使っていく方が効率的です。それぞれが負担するはずだった外国語の学習コストを別の生産的なものに使うこともできます。


英語が要らなくなるシナリオとしては、コミュニケーションがさらにグローバルになることが逆に効いてくるのではないかと思います。グローバルになることで人と人の間に機械が入るからです。通常、言葉を話すときには声が聞こえる範囲で話すため間に機械が入る余地はないのですが、距離が大きくなったとき必ず機械が入ります。電話、Skypeテレビ会議、チャット、将来もっと便利なものが出てくるとしても間に必ず機械が入ります。機械が入るので何らかの言語処理をいれる余地があります。もし人の移動による直接的会話よりも、このような機械が間にあるコミュニケーションが多くなると間に翻訳システムがはいることが効果的になるので、シームレスに母国語で会話できるようになるバイアスも高くなると思います。


また、翻訳が比較的しやすい文書をよむ機会が増えているという結果があったり、youtubeで自動翻訳した字幕を出すように英語ベースで蓄積されてきた知的財産が自動的に翻訳されていく流れにあることを考えると世界の言語がシステムによってシームレスにつながる可能性もあるのではないかと思います。各言語の上に構築されてきた文化的なものを保ちながら、世界がつながっていく方が面白いものができそうな気がします。

進化論の破壊的側面

サルから人への説明でよく使われる進化論ですが、生態系だけではなく人間の性質、社会の文化など、人に関するものを広範に記述できるようになっていくと考えられます。人レベルでいうと、「人を殺してはいけない」といった生得的な善悪の感覚、喜怒哀楽の感情や欲求、社会レベルで言うと宗教、規範などのシステムを説明する基本原理になりえると思います。言ってみれば人間/社会のマクロレベルを記述する根本原理です。


しかしながら、進化論はその強力さゆえに破壊的であるともいえます。より多くの子孫を残すことが現在の状態を説明するために、以下のようなケースが想定されるからです。

レイプ遺伝子をもっている男性は、レイプ遺伝子をもっていない男性に対して、繁殖の点でも進化の点でも優位性をもっていたというのである。


レイプ、殺人、不貞を進化論的に考える(1):MikSの浅横日記:So-net blog


この例では、最終的に「レイプが進化における適応の一例であるという見込みはきわめて低いものになりました」となったようですが、進化論が持つその性質からこのような例はいくらでも考えられると思います。我々がここにいるのは、過去での、「手段を選ばない」より多くの子孫を残すことの結果であるということは、我々自身の存在を危うくします。


人の善意的な側面でさえ、協力ゲームを通しての自分の利益の計算の結果であると思うと自分自身の感覚も信じられなくなってしまうかもしれません。キリスト教で、人がサルであったわけがないという進化論への批判は本質的にはこのような推測を許容できなかったのだと思うと、批判したい気持ちも理解できます。


とはいえ、進化論のロジックが間違っているようにも思えません。進化論が正しいとして我々ができることは何かを考えるのが現実的と思いますが、一つの希望はやはり協力ゲームです。人が進化論に支配されているということは認めてしまって、善意的な戦略が適応しやすいような社会システムを構築するというのが一つの選択肢だと思います。

JavaScriptで大規模開発をするには?

大規模なシステムを作るというのは、多くの概念を管理することです。これには、各概念を効果的に区別(分類)すること、各概念に早くアクセスできること、各概念を簡単に操作できることが必要です。これは所謂、名前空間の必要性を意味して、局所性と大きさで言及しているようにソフトウェアに関わらず生物などにも当てはまる本質的な要請だと考えられます。


ソフトウェアにおいて、Javaではpackageでこれが可能となり、.NETでも名前空間の構文で利用可能です。JavaScriptはというと、このような仕組みはサポートされていないのですが、局所的に変数を閉じ込めるクロージャとオブジェクトの参照treeを使ってこれらに近いものを実現することができます。

var all = {};

(function(){

	//name space
	all.animal = {};
	all.animal.Cat = Cat;
	all.animal.Dog = Dog;

	function Cat(){}
	function Dog(){}
	function Animal(){}
	
	//継承先の親はクロージャ内なので、そのままアクセス可能。
	Cat.prototype = new Animal();
	Dog.prototype = new Animal();

})();

//外からは name spaceでアクセス。
var cat = new all.animal.Cat();
var dog = new all.animal.Dog();


こんな感じで名前空間のようにオブジェクトを構成していくことができます。実際に開発するときは、namespace生成の関数や、特定namespace以下のオブジェクトのimport関数を作ると便利かなと思います。

中国が民主主義になるとき

現在の中国の成長率は非常に高く、これがトップダウンの政治を安定させているかもしれませんが、これが頭打ちになるころに政治体制が民主主義に移行するのではないかと思っています。大きな理由は、資本主義と非民主主義が本質的にマッチしないからです。


日本の経済成長と低迷で言及したように、何を作るかが分かっているときには、トップに従順な「努力」で高い成長率を出すことができます。現在の中国の競争力は、このことと労働力の安さに依存しています。しかしながら、今の日本のように中国の水準が世界レベルになって、何を作ればいいか分からなくなったとき、経済成長は極端に悪くなると思います。日本より硬直的なtree構造のシステムでは、変化していく問題に対応していくことがさらに難しくなるからです。(別の言い方をすると日本より既得権益の層が多いから。)


資本主義とは、需要に対する供給を行った人にそれ相応の対価を与えるシステムです。どういう需要があるか、それに対する供給の方法はどうするか、が明らかではないためクリエイティビティとこれを実行するための権限(所有権とか)が重要になります。このクリエイティビティの源泉は、自由なものの見方、考え方を許容する文化、システムです。アメリカの経済の強さは、これらを強力に支援する民主主義に支えられていると思います。


現在のビジネスでは情報が中心になりつつあり、クリエイティビティの材料であるインターネットという大きい情報のプールを利用することは必然的な流れになっています。中国政府は今後、政治体制を守るためにこれを制限することと経済成長を維持するために開放することの間でジレンマを持つようになるのではないかと思います。


政治のシステムというのは、本質的に力によって決まります。どのグループがより強い力を持っているか、民主主義では国民が力を持ち、その結果、国としての力も大きくすることができました。非民主主義の場合は中央が力を持つ代わりに世界全体としては競争力を落とすことになります。すでにインターネットを利用している/資本を持っている中国国民は今後どういう判断を行うでしょうか。また、逆説的ですが、中国政府も世界レベルでの力の維持のため、権限のシフトを考えざるを得ない状況になるかもしれません。

Googleというシステム

「しがらみ無しでシステムを作れたら、どれだけ楽にシステム開発できるだろうか」とよく考えるが、パソコンが5万円になってやっと買うことができる人はみんなそういう会社に勤めるだろう。そういう人たちの生活水準が高くなり給料が高くなった頃には、パソコンが3万円になってやっと買うことができる人が入ってくる。その次は1万円、次は5千円だ。ネットブックは長期的には千円くらいまで安くなって、その過程でずっと新しいホワイトカラーを量産し続け、その人たちの仕事は我々よりずっと効率的なのだ。

Googleは社員も凄いが、それ以上にマネジメントが凄いのだ。Googleを経営できるなら、他のどんな業種のどんな企業でも経営できる。数倍効率よく経営できる。


原油高と同じくらい深刻な「ホワイトカラーの仕事破壊」
http://d.hatena.ne.jp/essa/20091219/p1


グローバリゼーションによってホワイトカラーの生産性の競争になった場合、先進国は新興国に比べて不利と考えられます。先進国は何をするべきか?ですが会社レベルではマネジメントのシステムを変えることが一つとしてあると思います。会社が競争に勝つには、優秀な人を集めること、集めた人で構成された組織が市場をアウトパフォームすること、が必要です。このとき、後者を強化することがマネジメントの役割です。


商品を市場に出す場合、市場調査、企画、開発、運用など、いろいろな役割の人が関係しています。マネジメントで重要なのは、

  • (1) 各役割に対して「公正な」評価を行う(ルールを作る)こと
  • (2) これらの役割(人)のコミュニケーションのネットワークを構成する(ルールを作る)こと

であると思います。


通常のピラミッド型組織では、上司が(1)ではハブになって、(2)では部下に対する権限をもっています。しかしながら、市場の変化のスピードが速くなってくると完全に包含関係を持つようなスキルセットの系列を作ることは難しくなります。そして、これに裏付けられた階層的なポジションを想定するというのも難しくなるでしょう。市場の変化に伴って部下の方が知識経験が豊富になってしまったというようなケースが出てくる可能性もあります。


ピラミッドという構造が変化のスピードに対して弱いのは、この構造がトップの変化に対する能力に依存しているからです。どのような知識、能力が今後重要となるかは誰にも分かりませんが、各個人を常に最適なポジションに置き続ける操作を行うことが変化への対応で重要なことです。


トップレベルで全ての評価を行っていくことは社会主義と同様に難しいと考えられるため、一般的な業務プロセスのネットワークに対する分散的な評価ルールの構築が必要ではないかと思います。各個人が与えられた評価権限を行使したり、利益の最大化をはかって効率的に動いたり業務を変えたりすることで、結果としてより効率的なネットワークが構成されていくシステムというのが理想的だと思います。最終的には政府と市場の縮小版が会社の中にできると面白いかなと。


Googleのマネジメントというのはこれに近いのではないかと思っています。Googleの創業者はページランクによってインターネット上のページの評価を行ってきたからです。複雑にリンクされたページでどれが重要なのか?どれが重要でないのか?は業務プロセスのネットワークの中で各役割を持った人の評価をどのようにしていくかという問題に似ています。熱心に重要な仕事をしているふりをする人の評価は、スパム的なページをどのように除くかに似ていますし、市場競争力の元になる人への評価は、上位にどのページを持ってくるかということに似ています。Googleというのは、ネットワークと組織、ページと人、リンクと評価、のアナロジーで組織ができているかもしれません。